志村けんが死亡!?志村けんの一生まとめ
こんにちは。しゅうです。
先日、志村けんさんがコロナウイルスの陽性反応が出たと報道されましたが、3月30日にコロナウイルスによりお亡くなりになられました。
そこで、志村けんさんの歩んできた人生を振り返ろうと思います。
志村けんの一生を振り返る
志村けんさんは1950年にうまれ本名は志村康徳(やすのり)です。
志村けんさんは1968年に「ザ・ドリフターズ」として芸能界に入りました。
しかし、1年余りで脱走したそうです。
その後、マックボンボンというコンビでデビューするもなかなか売れずに悩んでいました。
1974年に結局ザ・ドリフターズに戻り正式に加入
1976年に「東村山音頭」が大人気になる。
1986年以降に「大丈夫だぁ」などの冠番組が次々にヒットし大人気になっていく
そのまま、芸能活動をしていた志村けんさんでしたが
2020年3月に新型コロナウイルスの陽性反応がでる
2020年3月30日に死去
このような、波乱万丈な人生を送られた志村けんさんでしたが、やはり病気には勝てなかったようですね。
関係者によると死ぬ時も「アイーン」をしていったそうです。
最後まで芸人魂があって素晴らしい人生だったのだろうなと思いました。
最後に
いかがだったでしょうか。私は、志村けんさんの売れていない時代にこの世に存在していなかったし、志村けんさんと面識があるわけではないので、つらかったことはわかりません。
しかし、これだけ死んだことを嘆かれる方ですから、愛されていたのでしょうね。
愛される人はたいてい努力できるかたですよね。
相当な努力をしたんだなぁと思いました。
私も、志村けんさんとは分野が違いますが努力では負けるきはありません。
お疲れさまでした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
他にもたくさん面白い記事を書いているのでぜひ、よんでみてくださいね!!!
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